日別アーカイブ: 2024年8月23日

千葉県市川市の「木を伐るな」運動の経緯と今後の課題

北国分2丁目の大蔵さんが「市民研通信」第77号に寄稿したものをこちらでも御紹介致します。前回の「環境と防衛は超党派で」と重複する内容も含まれますが、大変参考になると思います。

大蔵八郎(北国分2丁目)

小学生から東京品川の大井町で育ちました。アパートの狭い借家住まいで、緑の少ない環境でしたので、幼いころから緑に憧れ、妙な夢ですが、自宅の浴室で湯船に浸かりながら窓の樹を見るのがささやかな夢でした。その夢は緑豊かな町―市川にマイホームを持つことでようやく実現しました。

空手の師範の住まう市川北部、松戸に接する北国分の風致に魅せられて東京から引っ越してきたのが40年前の1983年でした。狭い庭には桜、梅、椿、木斛など10本の庭木を植え、市の補助金を得て、珊瑚樹の生垣を作りました。そして移り住み始めてから8年経った1991年に北国分に住む千葉大教授(考古学)麻生優氏の「身近な森林をもっと大切に」という新聞投稿に接しました(『朝日新聞トークルーム』1991年9月7日付)。

 

A  北国分斜面林を守る活動

「市川市北国分の森を私はどうしても守りたい」と結ばれたこの記事によって初めて北総線開通に伴う区画整理事業による北国分駅前の樹林帯が危機に瀕していることを知った次第です。麻生教授は「樹齢100年の古木を含む3500本以上を伐って新しく公園や道路を造る意味がどこにあろう」と主張し、また次のように仰いました。

 

1.赤松、黒松、イヌシデ、コナラなど数十種類の樹々、鵯、椋鳥、ツミ、大鷹、キジバトなど沢山の野鳥が飛び交う雑木林こそ縄文時代以来の伝統的な森の姿。

2.森林保護の大切さは何もアマゾン河流域や東南アジアの熱帯雨林に限らない。この日本の身近な森が危ない、いや、市川の森が危ない。

3.日本が国際社会で信頼されるには自国の環境対策に真剣に取り組まねばならない。

 

この言葉が、麻生教授の亡き後、30年以上経った今も全く変わらずに生きているのです。

当時は、外環反対運動は未だ知られず、「北国分の森を守る会(麻生直子代表)」と「山水会(三宅幹夫代表)」が共産党の小沢元市議、自民党の海津現市議、板橋元市議を巻き込んで、当時の高橋国夫市川市長に強く抗議して伐採を一時中止させましたが、既に樹齢50年を超える大木50本余が切り倒されており、最終的に3000本もの樹木が失われました

しかし4000人市民の署名を集め、小生も、会社勤めの傍らで全力投球はできませんでしたが、一臂の力を貸した結果でしょうか(①「北国分の森を守る運動へのご協力のお願い」「Q&A」を作成し、②国内の自然保護団体、芹洋子、東山魁夷など著名人の50か所以上へ配布。➂「全国自然通信」へ掲載、④千葉県沼田知事への緊急要望書提出、⑤市川よみうり、市川ジャーナルへの記事掲載、⑥日本自然保護協会沼田会長へ協力依頼等々・・・当時思い付くあらゆる手段を講じました)。11,568㎡(3500坪)の樹林が守られ、「多くの住民の手で北国分の森は残った」と新聞は評価し、「生ぬるい運動と言われようと、あれっぽっちと言われようと、ここで終わりとなりました」という悲痛なメッセージが麻生代表から届き、「幸いにも命を長らえた樹木をこれからも大事に見守っていきたい、そして風致地区にふさわしい町作りが出来ますよう願っています」と1992年4月に総括されました。

この手法は、30年以上経った今も全く変わらずに有効と思います。但し真に有効に結果をだすためには、イデオロギーの左系だけでなく中立、右系、保守系も一緒になって大同団結して共同歩調をとることが何より重要です。国民の生命財産を守る国防と同様に、住民の生命健康を守る環境対策にもイデオロギーや党利党略は無縁の筈です。

 

2000年から日本を離れ、11年の北米滞在から帰ってみると、市川の緑地は明らかに貧しく衰えており失望しました。本来であれば我々一般住民が騒ぎ立てずとも、欧米先進国のように行政が、すなわち市川市の環境部が、先手を打って緑を保護するのが筋ですが、それが全く期待できない以上、住民が声を挙げざるをえません。

 

B  いなりざく公園の欅を守る活動

2020年2月に持ち上がったのが市川・北国分に位置する「いなりざく公園の欅の伐採」問題でした。毎朝の散歩の通り道にあるこの公園の2本の欅のうち1本が伐られることになったため、反対運動、署名活動の結果、移植したのは良かったのですが直ぐに枯れてしまいました。この欅は長年この公園を利用する付近住民に親しまれた木でした。やや複雑ですが、この問題の概要は以下の通りです。

 

*市川市は、道免き谷津の小塚山公園拡張計画内に食い込んでいる私有農地を、隣接する「いなりざく公園」の約半分と交換する。この交換の結果、現「いなりざく公園」内にある欅の喬木(直径40~50㎝)が邪魔になるので伐採する。

*この土地交換は私有農地の地主が、公園拡張計画内に食い込んでいる私有農地の市への売却を拒むため。地主は、売却はしないが、交換には応じると変化した。

*この交換と欅伐採の話を知ったのは、2月9日で、近隣住民が気付いたのは公園に張り出された小さな通知書によってだった。

*すぐに同志と公園緑地課に面談のアポをとり、長友市議、清水市議、海津市議に事情説明の文書を送り善処を要望すると同時に村越祐民市長にも鶴の一声を期待する文書を秘書課にメールした。

*市の公園緑地課長のアポが2月12日にとれたので面談して、課長以下6名の職員に、代替案として、最善案(地主の土地を売らない唯一の理由が枝豆路地販売と説明しているので、いなりざく公園での販売を市が特別に許可すること)、地主さんの土地を売らない本当の理由が土地値上がりを待っていることであれば次善案として、いなりざく公園には手をつけず、食い込み私有農地の取得は断念し、そのまま残して小塚山公園拡張工事を完了させる、の2つを提言し、一緒に市の案との比較衡量を考えよう、と提案。1時間ほど議論しましたが、課長以下、「市案以外は考えられない、住民説明は検討する」が回答でした。

 

以下がこの問題を話題にした集りのときに出た意見、質疑でした。

 

*市川市の対応はほぼ決まっていて、住民との話し合いをせず、自治会長に形ばかりの電話連絡ですませる。しかも自治会長は、市と地主の問題なので自治会は無関係と回答するのが殆どである。

*市議会でも話し合われていない。形式的には議会承認を取っているが、説明が不十分なためか、事実を伏せていたためか、長友市議、清水市議、石原市議らが承認した記憶がない。里見公園分園の桜伐採計画の時もいきなりだったが、あの時は市民が働きかけて新聞にも載り、結局伐採がされなかった。

*下請けの下請けで、樹木の専門知識のない素人業者がドンドン切り落とす。

*市長は事実を知っているか?…たとえ知らされても説明の仕方次第で市長を同意させることは容易。

*市長に直接話をするのはどうか?…話を聞かなくなっている。

*市川市の緑被率は平成3年のとき県下ワースト1位だった。その後の報告では持ち直したようになっているが、現在の趨勢では怪しい。

*そもそも、市の条例では高木の伐採には市の許可が必要で、以前はそんな簡単に切らなかった。

*外環後に伐採の歯止めが無くなった気がする。

*条例に何か付帯条項がついて簡単に伐採できるようになったのではないか?

*市川市で最近樹木伐採が異常に亢進している旨の例が多い。渡辺氏の目の前の国分斜面林(国分寺参道近く)の斜面林が、全く予告もなく伐採されてしまった。また、ジュンサイ池から小塚山に続く樹林の道路際の喬木が数本以上伐採されている。市川市の緑地保存の姿勢が問題になっている。

*斜面林の下の民有地が不動産業者のものになり、新しく家を建てるのに、落ち葉が邪魔という住民の不満を避けるために切ったらしい。

*斜面林の木の伐採は県の「葛南土木」が許可権を持っていて、ここが許可を出したらしい。

*国会議員でさえ、超党派で温暖化問題と再生可能エネルギー問題に取り組み始めた。市川市は遅れている。

*結局は市民の民度だ。

*国分の斜面林伐採は、市川駅からもわかる。このまま隣接斜面林も失われたらわずかに残っている市川市の斜面林がなくなる。

*緑が豊かで文化的だと言うので引っ越ししてきたのに、市川市の文化が失われて行く。

*市長は何とかならないのか。等々。

 

C その他の樹木伐採

この他にも、ジュンサイ池から小塚山に続く樹林の道路際の喬木が理由もなく何本も伐採され、一昨年は堀之内公園のニセアカシアとも呼ばれるハリエンジュ12本が安全対策を理由に伐られ、30年前の運動で折角保存した斜面林でも、ナラ枯れを理由に、未だ枯れていない元気な樹木が伐り倒されていきました。ナラ枯れは手当てをして蘇らせる方法を公園緑地課に申入れストップさせましたが、その直後に第4緑地の少なくも5本の大木が、またしてもナラ枯れを理由に、伐られました。住民が声を挙げてもこの始末です。こうやって少しずつ少しずつ憑かれたように伐られた樹木の累積を数えればこの4、5年だけで100本を優に超えるでしょう。北国分の嘗ての風致や豊かな緑は見る影もなく毀損されました。

 

以上は樹が伐られ続けた残念な実例ですが、幸いなことに見事な成功例もあるのです。

 

D 弘法寺斜面林を守る活動

市川市真間四丁目にある日蓮宗の真間山弘法寺はこの地域に古くから知られた名刹で、市内を見渡す高台に建ち、今でも毎朝6時に鐘の音を響かせていますが、その太古から続く鎮守の森を構成する樹木は皆から愛され大切に守られてきました。1868年(慶応4年)の戊辰戦争のときも、江戸川を越えてきた「義軍」と呼ばれた旧幕府の脱走兵が一時はこの森を目指して進み、弘法寺を本陣とした歴史もあります。2022年、その弘法寺の西側斜面林を伐る話が持ち上がりました。市川市公園緑地課より、土砂災害防止のため、標記の斜面林の高木37本を伐採したいと言い始めたのです。

これを察知した「市川緑の市民フォーラム」という環境保護団体のメンバーが次のように阻止に動きだしました。

この斜面は、1990年頃にひな壇式のマンションを建設する予定だったが、「都市緑地保全法の適用による保全」を求め、署名活動を行い、約4万人の署名と専門家からの意見書の集中により、当時の高橋國男市長の英断で、債務負担行為により、26億5千万円で買取保全された森である経緯を伝え、その上で、出来るだけ高木を残すべきだと要望しました。市の担当者にこの経緯や経験が伝わっていなかったのです。

その結果、高木1本のみを除き、36本の貴重な大木を伐採しない工法に変更され、辛うじて弘法寺周辺の森は残され、美しい景観が損なわれずにすみました。

 

E 里見公園分園の桜を守る活動

時間は遡りますが、2015年に、里見公園分園の見事なソメイヨシノを伐採してテニスコート2面を作る計画が持ち上がりました。すでに予算化されているという話を市政報告会で知った市民が石原現市議に伝え、「市川緑の市民フォーラム」にも伝わりました。この桜は市川市内で最も美しい桜であり、その中の何本かは戦時中にこの地区の若者が出征する時にここに苗を植えたという歴史のある由緒ある桜でもあることから、市内の複数の環境保護組織の合同で、分園のすべての桜の毎木調査を行い、その調査結果から、テニスコートにかかる桜だけでははく、ここにある桜の殆どが市内で最も大きな桜の巨木であることなどが明らかになりました。一方で、この地区の学校関係のテニスコートを市民とシェアすることなどを提案する中で、2016年10月の市長の定例記者会見の中で、桜を伐採してテニスコートを作る計画を断念することになったのです。素晴らしい成果ではありませんか。

 

しかし考えてみれば、DもEも、本来は行政の仕事を、市川市を愛する無給の市民がボランティアで、有給の市職員のいい加減な仕事を矯正した結果なのです。行政に対して「恥を知れ恥を」と、どこかの自治体の市長なら怒鳴りそうな事案です。環境部門の職員は2、3年で異動しますが、環境保護の市民は数十年関わっているわけで、職員が太刀打ち出来るわけがありません。ヨーロッパ諸国では、地域で大きな開発行為が進められる際に立ち上げられる市民参加の会議において、地域の環境NGOは、「専門家」として見られ、それなりの発言権を当然のように確保しているのです。大学や研究所の生態学者より、地域の自然環境に限って考えた時、地域の自然環境をずっと見つめて来た環境NGOの方が詳しいのは当たり前と見られているのです。環境破壊の恐れのある開発行為やプロジェクトは、業者と行政だけの閉じられた空間とせずに、専門家や有識者としての知識や実力を有する市民の参加を初めから求め、その意見を積極的に取り込む仕組みを作り上げなければなりません。さらに言えば、そのような専門家(エキスパート)を市の環境部門の常任顧問や特別参考人、若しくは市長の公設顧問にして、調査費や交通文通費を支払い、或いは教育費を負担して後継者を育成させることも考える必要があります。

 

F 大鷹の森を守る活動

この話は未だ決着したわけではありませんが、環境問題に理解の深い現在の田中甲市長に直訴したところ、早速、市長が現地視察に赴くという心強い経緯を辿っていますので、D、Eのような好結果が期待されます。

市川市北国分1丁目に位置する小塚山はオオタカ(大鷹)の棲息する森として、近隣のバードウォッチャーに人気のスポットです。真下にある歩道橋は市内の小学生によって「オオタカの森歩道橋」と名付けられたほどです。その歩道橋のすぐ近くに「エコブリッジ」なる人工橋の計画が持ち上がりました。小塚山の北に広がる道免き谷津は現在、「新小塚山公園」と名付けられ、樹木の少ないクローバーと雑草の公園になっていますが、元々は植林し森とする計画でした。その場合、上下ふたつの森を動物が行き来できる木造の連絡橋つまりエコブリッジとして予定されていたのが、新公園が森ではなく見晴らしの利く雑草公園となったため立ち消えになっていたのです。ところがいつも間にかエコブリッジをコンクリートの連絡橋として復活させ、小塚山の中に遊歩道を作ろうと市川市の街づくり部が、オオタカを守る会に告げずに水面下で動き始めました。連絡橋の計画地から50㍍先にオオタカの森歩道橋と横断歩道があり、小塚山と新公園の連絡はこれで十分なのです。反対の付近住民の方が観察した結果、歩道橋を渡る人は一日に10数人程度に過ぎませんでした。

「オオタカを守る会」と付近住民の反対でこの話が潰れた当時、公園緑地課と住民との約束で、もし課がエコブリッジ関連の事業案を復活させ、森に手を加える場合は住民に必ず予め通知することになっていました。しかし実際には、住民に無断で「連絡橋」と名称を変えた建造物の競争入札が実施され、幸い価格で折り合わず、宙ぶらりんの状況となっていたのです。この新しい計画が発覚したのは現地に応札のため業者が徘徊していたのを目撃され住民から誰何されたためでした。もし連絡橋と遊歩道ができれば小塚山一帯の生態系が壊われ、大鷹の絶滅するのは目に見えています。

大鷹は日本各地の平地から山林にかけて生息し(神宮の森、皇居にも)、鳥類生態系の頂点に位し、一時は絶滅危惧となりましたが、森林と強く結びついているため緑の豊かな森ほど大鷹の棲みやすい環境となっています。歴史を辿れば、外環工事のため一時移植した多数の樹木が小塚山に戻され樹林が定着した2014年(平成26)から営巣や雛の誕生が観察されるようになり、オオタカを守る会の会員は毎朝、大型カメラを手に撮影を続けています。

大鷹の興味深い習性は、つがいの役割分担です。雄は巣作りの材料運び(杉や松の針葉樹の大木の上)、餌運び、生まれた子の上昇気流に乗る飛行訓練を一手に引き受け、(カラスから巣を守るときなどに)地上に取り落とした餌は拾いません。土鳩、椋鳥、小鷺などが餌だが、必ず頭をカットし、羽をむしってから雌や雛に与えます。雌はひたすら卵を抱き、子育てに専念するので、雄より太ることになります。写真の奥が雌で痩せた手前が雄。

ヨーロッパやサウジアラビアの王族の道楽に、日本の大鷹より小型のハリホークを使う鷹狩がありますが、ハリホークと違い大鷹は群れません。日本の大鷹は相貌がより精悍でより敏捷なため古来、軍事演習を兼ねた鷹狩に使われ、江戸時代には幕府の公式の職制として世襲の千石取りの鷹匠頭(江戸城・山吹の間詰め)が存在しました。その大鷹がいま小塚山に生き残っているのを観察できるのは有難いことではありませんか。ぜひ保護を続けたいと思います。

 

G   絵に書いた餅の「生物多様性市川戦略」

「市川市自然環境保全再生指針・2006」「生物多様性市川戦略・2014」なる文書が当時の有識者によって作られていますが、いま絵に描いた餅のまま眠っています。生物多様性を追求する国際潮流を受け、政府の立てた方針に従ったものですが、生き返らせなければなりません。地球温暖化防止・カーボンニュートラルと同じく、国連の動きに連動した日本政府の指針が立てられました。CO2の吸収源の大部分は森林の吸収量です。植林などの緑化運動が低炭素社会の実現を目指すには極めて重要になっていることを再生指針に織り込むなどして、早急に市川の自然を保護しなければ依然として、緑が失われ続け、貧しく魅力のない住みにくい地方都市に落ち込んでしまいます。

開発が正しく、善であると今でも無邪気に思い込んでいる人々によって貴重な樹木が容赦なく伐られているのです。彼らを啓蒙し、一般住民、関係当事者の意識を広報活動によって、正しい方向に変えることがいま何より求められています。

東京都でも、再開発によって神宮外苑や日比谷公園の樹木を大量に伐採し、高層ビルの建設が予定されています。小池都知事らに「先人が100年をかけて守り育ててきた貴重な神宮の樹々を犠牲にすべきではありません」と訴えた坂本龍一の手紙が話題を呼びましたが、さて、学歴詐称疑惑にも拘わらず無事に再選を果たした小池知事、どう反応するのでしょう。田中市長には市川の緑と魅力を本当に守る不退転の覚悟をもって今後も取り組んで頂きたいと思っています。

 

H 「金」と「知識」の環境問題

環境問題は突き詰めれば、「金」と「知識」の問題です。この2つの側面から攻めれば捩じれた糸がほぐれるように解決が可能です。

開発によって利益を得る者、その恩恵を受ける者が環境を破壊しています。これが金の問題。しかし昨今のカーボンニュートラルの世界的動きを察知した大企業がエコが儲かることに気付き始めています。また樹木に大気の温度を下げる効果が経験的に認められます。緑の経済的効果を数値化できれば万人が納得でき伐採に歯止めがかかります。小塚山の一山が、果たして一文の値打ちしかないのか、巨万の富の源泉なのか、精査すれば数値化できるはずです。今後、市民科学研究室の専門家に御協力を賜りたい分野です。これが知識の問題。つまり市川市民の殆どが環境に無関心で、樹木が住宅の景観と価値を高めること、何故森の緑が人間に必要なのか、子供の成長に木の吐き出す酸素が有益であること等々を知りません。情報を市民が共有することが環境を高めるのに不可欠です。

 

ここでもう一つ大切な観点を付け加えます。この知識や情報の共有は、一般市民の啓蒙につながる一般市民による共有に加えて、すでに環境に目覚めた活動家やボランティアの間での共有を含みます。活動家たちの保有する情報の質やレベルにばらつきがあり、そのため全体としてみたとき、活動レベルが非効率化しています。先端的な、もしくは微細な重要情報の共有が、運動を進める上で必須です。例えばポリプラスチックを樹木が吸収する情報は活動家にも殆ど知られていません。例えば樹木伐採の大きな要因となっている落葉の清掃への先端自治体の取り組みの情報、例えばナラ枯れの木を伐らずに保存する方法、例えばBS-TBSのテレビ番組『噂の東京マガジン』が塩浜親水事業を採りあげていたこと等々、一部の活動家は知っていながら、他の活動家が知らないことが多いのです。現代はネットによって全国津々浦々、全ての活動家や有識者が先端情報を瞬時に共有できる時代ですので、そのための統合データベースを構築することが望まれます。

 

米国西海岸のスタンフォード大学フーバー研究所の西鋭夫先生は長年の知人ですが、昨日、このメールが送られてきました。

 

“私の友人で地球環境問題で活躍している方に、「一個人として何ができるのか」と尋ねた時、「木を植えろ」と言っていました。スタンフォードは樫とユーカリの巨木の森です。日本のように古い国には街中に巨木があればなあ、と思っています。毎年剪定、伐採をしすぎて、町には巨木の森もありません。スタンフォードの街では、自宅の庭にある大きな木々は勝手に伐採できません。”

 

小生の嘗て住んだ中西部のオハイオ州の住宅街は森の中に一戸建て住宅が点在し極めて快適でしたので、この言葉の真意が理解できます。学友の一人が居住する自由が丘の宅地も大樹を取り組んでいます。戦前の日本には植林国家の構想がありました。

 

I 「市川市の緑の保全に関する緊急要望と提言」その後

以上、市川市、特に北部の身近な極めて限定された地域の自然保護、とりわけ樹木の伐採阻止に焦点を当てましたが、同じような話は全国各地にごまんと存在します。古来、日本は緑の日本列島でした。市川市自然博物館の金子謙一氏は市川の自然保護にご活躍の尊敬すべき学芸員ですが、日本の風土では、野菜でも樹木でもほっておいてもすぐに生育すると仰っていました。子供の遊ぶスペースは保護者の眼が届かなくなるから樹を伐るべきというのも極論です。いくら豊かな森でも片っ端から樹を伐れば豊かな緑は簡単に損なわれます。南方熊楠が明治維新後の廃仏毀釈の波に乗って各地の神社の鎮守の森が消えていくのを必死に防ぎました。維新前の東京は世界に冠たる百万都市そのものが森林公園でした。これは幕末に江戸を訪れた列強の外交官、宣教師が記録に残しています(渡辺京一『幻影の明治』平凡社2020年)。東京も市川もどうにかして緑豊かな街に復活させたいものです。昨年10月に、同志と共に「市川市の緑の保全に関する緊急要望と提言」をとりまとめ、市役所に持参し、市長公室長、環境部長、街つくり部長に対面で説明しました。田中市長のコロナ回復を俟って早急に面談きるよう申し入れましたが日程調整が出来ず、この対3部長説明になった次第で、プレスリリースも実施し、現在、市川市の対応を待っているところですが現在に至るも回答がありません。担当者が人事異動で変わったとか。

要望書や提言は当局へ提出しただけで満足しては駄目で、当局が読んで、行動し、結果をだすところまで見届けなければなりません。「市川市自然環境保全再生指針」も「生物多様性市川戦略」もたいへん立派で有効な文書ですが、作成した文書の描いた構想が実現し生かされることによって初めて作った仏に魂を入れることになります。

 

本要望書の根本的な意義は、これまで市川市の緑の保全に関して、一部の環境組織、団体が個別に、特定の問題について市川市当局に請願し、個別の成果を挙げたことはあっても、環境政策の全体に亘った総合的、包括的要望を、国際的な環境運動の動向を踏まえて、しかも市内の多くの環境組織、団体が合同して、そのコンセンサスとして当局に提出することは稀でした。この点が本要望書の画期的な意義といえます。また市の「市のミドリをこれ以上減らさない」という環境保護の理念とその具体的方法を、環境の受益当事者としての市民の立場から市川市に要望することにも大きな意味があります。当局は、開発業者、地権者など反対の立場のステクホールダ―の意見も聴き、最終調整をする責任がありますが、抑々市民の意見が、一般市民と住民の立場から、理念とその具体的対策として、打ち出されなければ物事が始まらないと言えましょう。